The Finals 2009 その1
2009年12月26日 TCG全般 The Finals・・・かつては「夏の日本選手権、冬のFinals」とまで呼ばれた、各年の構築戦王者を争う大会である。
しかし最近はその門戸もずいぶんと広くなり、特に今年は33人参加で16人抜けなんて超ゆとり予選まで組まれうるほどの有様だった。
その是非は既に散々語り尽されているのでここでは問わないことにするが、恩恵に与ってこの俺も今年も本戦の権利を何とか得ることができた。
そしてその権利大盤振る舞いの結果が、予選ラウンド形式の変更である。
この影響を受けて一体どれ程のプレーヤーが本戦参加を取り止めたかは知れないが、この程度の些細な問題は俺には関係なかった。
何があろうともThe Finals 2009に参加する・・・そのために絶対に予選を抜ける・・・そう誓ったのは1年前のことである。
昨年のThe Finals 2008・・・初日0-5という参加者145人のうちわずか6名にしか与えられない称号を手にした俺を待っていたのは、大会に出る度に「お、abknじゃん。今日も0-5しに来たの?」と笑われる日々であった。そのような事態を放置していられようか、いや、ない(反語形)。
そこで俺は自らの日記の写真を《包囲の搭、ドラン/Doran, the Siege Tower(LRW)》にすることで戒めとし、己を奮い立たせることでリベンジを誓ったのであった。(続く)
しかし最近はその門戸もずいぶんと広くなり、特に今年は33人参加で16人抜けなんて超ゆとり予選まで組まれうるほどの有様だった。
その是非は既に散々語り尽されているのでここでは問わないことにするが、恩恵に与ってこの俺も今年も本戦の権利を何とか得ることができた。
そしてその権利大盤振る舞いの結果が、予選ラウンド形式の変更である。
この影響を受けて一体どれ程のプレーヤーが本戦参加を取り止めたかは知れないが、この程度の些細な問題は俺には関係なかった。
何があろうともThe Finals 2009に参加する・・・そのために絶対に予選を抜ける・・・そう誓ったのは1年前のことである。
昨年のThe Finals 2008・・・初日0-5という参加者145人のうちわずか6名にしか与えられない称号を手にした俺を待っていたのは、大会に出る度に「お、abknじゃん。今日も0-5しに来たの?」と笑われる日々であった。そのような事態を放置していられようか、いや、ない(反語形)。
そこで俺は自らの日記の写真を《包囲の搭、ドラン/Doran, the Siege Tower(LRW)》にすることで戒めとし、己を奮い立たせることでリベンジを誓ったのであった。(続く)
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